実は、古事記の序文にはこれを「古事記」と呼ぶとは書かれていない。
意味は「古の事を記した書物」であるが、これが撰者(太安万侶)による命名か、
後に付けられた名前なのかはわかっていない。
また、昔は「コジキ」ではなく「フルコトブミ」と読む、という説もあったらしい。
ここらへんのことは日本史でも必須、テストで頻出の部分である。
古事記の成立は序文に書かれている。
だが序文はあくまでも漢文(古事記は全て漢文で書かれている)なので、
その解釈は学者によって様々である。
大体のところは、
天武天皇が『帝紀』と『本辞』を舎人の稗田阿礼に誦み習わせた。
稗田阿礼はとても聡明で、どんな文でも一見しただけで覚えてしまう、という青年だった。
ところが、天皇が崩御してしまったため、この時点では撰録は行なわれなかった。
時が流れ、元明天皇は『帝紀』と『旧辞』の乱れを悲しみ、正そうと考えた。
そこで太安万侶に対し、稗田阿礼がよんだものを撰録し、謙譲せよ、と命を下した。
太安万侶は、稗田阿礼がよんだものを文字化し、注を付け加え、上中下の3巻にまとめて献上した。
和銅5年(712年)正月28日のことである。