何と言っても専門家ではないので。
断片的な知識と資料から。
人がある行動をしている場合、その人の中でその人を行動に駆り立てているエネルギー或いは力。
ただし、衝動は感じられない(意識にはのぼらない)。
動因とも言える。
心理と行動について述べる場合、メインは人間でなく、この衝動ということになる。
人間の根本的な衝動が、自己保存衝動と、性衝動である。
自己の生命を全うしようとする衝動。
飢えの衝動、排泄の衝動、睡眠の衝動、攻撃衝動、逃走衝動がある。
人間を性行為に駆り立てている衝動。
空腹感、いらいらする感、不快感などの主観的な体験や感じ。
まずこの欲求が起こり、その結果衝動が呼び起こされ、最終的に行動が起こされる。
いわゆる食い気。
動脈血の血糖値と静脈血の血糖値の差(デルターブドウ糖)が脳の視床下部にある食中枢にキャッチされ、大脳に空腹感として意識される。
食の欲求はエネルギーが減ったという信号の役割であり、その結果飢えの衝動が呼び起こされる。
アメリカの生理学者メイヤーの実験で次のことが言える。
朝食後1時間はデルター・ブドウ糖値が一番大きく、空腹感がない。
朝食後4時間半たつと、その値が小さくなり空腹感を訴える。
朝食後2時間になるとデルターブドウ糖値が大きく減り、空腹感を訴える。
朝食後1時間ではデルターブドウ糖値は大きい。
しかし3時間後には小さくなり、空腹感を訴える。
動脈のけっとも静脈の血統もきわめて高いが、その差は0に近い。
よって朝食後も空腹感を訴える。
朝食後1時間半に間食を与えたところ30分で空腹感はなくなったが、間食後1時間半でまたでルターブドウ糖値が0になり、空腹感を訴えた。
飢えの衝動とは違い、空腹感がないのに食事を摂るように駆り立てる力(衝動)。
食欲は食の欲求から呼び起こされるわけではない。
むしろ、心理的なものから呼び起こされるとされる。
いわゆる色気、もしくは性欲。
一般的な考えでは、体内に性ホルモンがたまるために呼び起こされると思われがちだが、ホルモンだけから性欲が起こるわけではない。
これは睾丸や卵巣を除去してみることで調べることができる。
睾丸や卵巣は、性ホルモンが作られる主要な場所である。
ハムスターを去勢すると、発情期のメスのハムスターと交尾する数が減る。
ところがこのハムスターにアンドロゲン(男性ホルモンの一)を与えると、また交尾するようになる。
よってネズミなどの下等哺乳動物では性衝動・性欲は体内の性ホルモン増加によって呼び起こされる。
しかし豚・馬・犬など、ヒトを含めたより高等な哺乳動物では、去勢の結果がネズミほどはっきりしない。
アンドロゲンの注射によって性欲が旺盛になる人もいるが、薬が効いたのか、暗示の影響かがはっきりしない。
つまり、特にヒトでは性衝動・性欲が性ホルモンによって呼び起こされるとは言えない。
哺乳動物のメスは一般にさかりと呼ばれる発情期がある。
発情期には排卵が行われる。
この時期、血流中のエストロゲン(女性ホルモンの一)が増加する。
犬・猫などのメスの卵巣を切除すると、発情期のはずなのに交尾をしなくなる。
このメスにエストロゲンを注射すると、また交尾を行うようになる。
ところがそれよりも高等なサルになると、発情期でホルモン量が多いのに、交尾をしないメスがいる。
さらに類人猿(チンパンジーなど)のメスでは、発情期がなく、毎月排卵がある。
アメリカの動物学者ヤーキスの観察によれば、チンパンジーのメスは排卵期以外の時期にも交尾が行われている。
つまり、性欲が必ずしも性ホルモンの増加によって呼び起こされているのではない、といえる。
当然、ヒトのメスの観察でも同じことが言える。
性衝動。
性衝動は性交に駆り立てる力であるが、そのように定義すると、ヒトが接吻する場合など、それは性衝動によって駆り立てられているのではなくなる。
しかし、接吻は間違いなく性の現れである。
そこで性衝動を「快感、特に性行為の際感じる快感と似た快感を得るように駆り立てる力」と定義する。
この性衝動を、リビドーと呼ぶ。
生後1年くらいの期間を口唇期という。
この時期には口唇性欲と呼ばれる衝動が優勢である。
口唇性欲は口唇の粘膜に刺激を与え、快感を得ようとする衝動である。
これは乳児が、おなかがすいていなくても指などを強く吸ったり舐めたりする行動に見られる。
おしゃぶりが性に似ている快感を与えているのである。
フロイトによれば、人によっては性的発達の特定の段階の痕跡が目立つことがある。
それを「口唇的性格」とか、「肛門低性格」などという。
口唇的性格は、受動性・依存性・自分の能力に対する疑いに結びついて現れる。
周期的に抑鬱状態に陥りやすい人は大抵これらの特徴を備えている。
口唇的習癖、すなわち、指しゃぶり、過食、アルコールやタバコへの過度の耽溺に陥る人もいる。
性倒錯では、性交そのものよりクンニリングス・フェラチオあるいはキスのほうに関心が集中するような例も、口唇的行動と言える。
生後8ヶ月から4歳くらいまでの期間を肛門期という。
この時期には肛門性欲と呼ばれる衝動が優勢である。
肛門性欲は肛門の粘膜に刺激を与え、快感を得ようとする衝動である。
肛門性欲を満たすには2つの方法がある。
1つは大便を排泄する際に肛門の粘膜に刺激を加えること。
もう一つは大便を出すのをこらえることで肛門の粘膜に刺激を加えることである。
肛門期の特徴が目立つこと。
フロイトの関心はこの肛門的性格に向けられた。
肛門期の次に来る時期。
この段階ではペニスあるいはクリトリスがリビドー備給やマスターベーション的行為の焦点となる。
しかし子供はまだ他の人間と性器を結合することができない。
男根期の次に来る時期。
異性との間に十分に満足のゆく性的関係を結ぶことができるようになるが、この段階が来るのは思春期の後である。
男根的性格の特徴を詳しく述べた研究者はいない。
ライクロフトの精神分析辞典ではこう述べられている。
『男根的性格の人は性行為を性的能力の誇示と見なす。大して性器的性格の人は性行為を、ある関係への参加と捉える。』
オイディプス・コンプレックスとも言う。
幼児期に、男の子が母親に愛着をもって父親に憎しみのような感情を持ち、反対に女の子が父親に愛着を持って母親に憎しみのような感情を持つこと。
フロイトによれば、3歳から7歳の間に誰にでも見られる。
エディプスは、父親とは知らないで父を殺し、知らないで母親と結婚したギリシャ神話の王の名前である。
フラストレーション。
欲求を満たせない状態、あるいは欲求を満たすのを妨げられた状態。
欲求不満は大雑把にわけると、次の二つの原因で起こる。
例えば水が一滴も無い山や砂漠にいるため、水を飲みたく他も、水を飲めない場合。
親に死に別れたり、失恋したため、愛情を満たせない場合。
貧乏、失業、破産のためにお金が無いので、欲求や欲望を満たせない場合。
例えば、子供がお菓子をほしいと思ったが、お菓子は手の届かない棚の上にあってお菓子を食べられない場合。
腹が減ったので食事をしようとしたとき、折悪しく来客があって食事をできない場合。
中年のある男がある若い女を誘惑しようとしたが、良心の呵責を感じ、誘惑をあきらめた場合。
この場合の妨害物は、子供の手と棚の間の空間、折悪しく来た客、良心の呵責である。
生体がある環境の中で生きていくこと、あるいは欲求を満たすこと。
生体は新しい環境でも適応しようとする。
欲求不満や不安に陥ったとき、自分を守ろうとする手段。
フロイトによって初めて発見されたため、フロイト的機制とも言われる。
空想、退行、投射、抑圧、転移、昇華、代償(補償)、同一視、合理化、逃避、折衷、反動形成、遊離、仕切りなどがある。
現実には作れない状況を頭の中で作ること。
白昼夢とも言う。
現実で満たされなかった要求や願望を満たすのを主題としている空想。
よって、その人が現在置かれている状況とは正反対の内容となる。
白日夢の型の一。
英雄型・ロマンチック型と言われる。
政治、実業、学問、芸術、スポーツなどの分野でなをあげたり、功績を立てたり、巨万の富を得たりすることを空想する。
この種の空想は長編小説のように延々と続くことがある。
白日夢の型の一。
恋愛や結婚を夢想するロマンチックなものから、官能の充足まで様々なものがある。
思春期から結婚までの期間に多い。
この時期には性衝動は目覚めているが、それを満たすことが許されないからである。
またこの型の白日夢にはマスターベーションを伴うものがある。
白日夢の型の一。
養子空想とも言う。
自分の両親は本当の両親ではない、という空想である。
時にこの空想は、自分の本当の親は王様や皇帝だ、という方向に展開する。
これは御伽噺の題材ともなっている。
すなわち下賎の家で育てられたが、本当は王様や皇帝の子供だった、という物語である。
白日夢とは違い、空想であるが、現実と空想との区別が無い状態。
さらに、その空想を現実として他人に語る。
空想的虚言とも言う。
白日夢とは、「他人に語る」という点でも違う。
白日夢はあくまで他人には秘密の空想だからである。
現実では満たされない欲求や願望を満たす役を演じているものがある。(白日夢では特にそうである。)
さらに、自己を危険に陥らないように防いでいる防衛の機能を持つ。
つまり現実に実行に起こせば問題となる行動でも、空想の中で起こすだけでは問題とならない。
発達という点からみて、昔の段階に戻ること。
子供っぽい振る舞い方、感じ方、考え方に戻ること、あるいは幼い子供の時とった幼稚な行動の型を繰り返すこと。
大小便に異常な関心をもつこと、大小便その他のことで清潔にしないことは肛門期への退行である。
幼児のように泣いたりわめいたり手足をばたばたさせたり、舌足らずのしゃべり方をすることが退行なのはよくわかるが、
そのほかに大食も退行と考えられる(口唇期への退行)。
退行については、弟や妹が生まれたためにおねしょが起こることなどを例としてあげられる。
このとき、母親にかまってもらうために退行が起こるのである。
つまり、退行を起こすことによって環境(周りの人間など)の慈悲と哀れみを待つ、消極的な欲求を満たす手段なのである。
ただし、環境が生体の手にあまるほど強力か、無慈悲なときにのみ現れる。
環境がそれほど強力でなければ、人は他の行動を示すことができるのである。
人間が恐怖を克服するために、退行が使われる。そのため、防衛機制の一つに数えられる。
自分の欲求、願望、感情、態度を無意識のうちに他人に投げ込み、他人のものとしてみること。
投射されるものは、一般に悪しきもの、すなわち忌まわしいもの、恥ずべきものである。
具体的には、敵意、憎悪、性欲、自分の欠点などである。
この点で、投射は防衛機制と考えられる。
自分の中に認めがたい感情(上にあげたようなもの)があるときに、他人の中にそれを見つけて非難する、など。
ただし投射されるものは悪いものばかりではなく、いいものも投射される。
愛情などがその例である。
絵画には、描いた人のそのときの感情状態が投射される。
「陰気な絵」、「明るい絵」など、他人に感情を伝える手段ともなる。
子供においては感情が画面にそのまま投射されることを利用して、抽象的な絵を描かせ、色・形・画用紙上の絵の位置と心理状態を対応させた。
以下、その結果である。
色は絵を描いたそのときの感情をあらわしている。
子供がだんだん大きくなると色に対する関心が薄れ、形に対する関心が増す。
また男の子よりも女の子の方が長い期間、激しく色に対する関心を抱く。
同じ色を使う場合も、色を塊上に塗りつけたときのほうが、線や形を描いた時より激しい感情を示している。
ある色を塗った上に別の色を塗るときは、自分の欲求を抑圧して社会から是認された行動をとっているか、あるいは二つの相反する欲求の間に葛藤があるときである。
この場合、最初に塗った色は抑圧された願望、その飢えに塗られた色は社会から是認された行動である。
赤は愛情と関係のある色である。
幼児が大人や他の事うまく行っていて社交的で、幸福な時と、逆に愛情に飢えて愛情の欲求不満の時に表れる。
青は衝動的、感情的な行動から「理性」で抑えつけられた行動(大人らしい行動)へ移る時に見られる。
外部の命令に従おうとする時などである。
しかしこの場合、
1・この命令を外面的に受け入れているが、その実は受け入れていない時
2・この命令に喜んで従っているとき
では、青の表れ方が違う。
前者の場合は青の塊を描くか、暖色を塗った上に青を塗るが、後者の場合青の塊でなく青で線か形を描き、それに画題をつけることが多い。
アルシューラーとハットウィックは前者を「制御された不安の青」、後者を「昇華された青」と呼んだ。
黄色は乳児の段階の反映である。
黄色を好んで使う子供は幸福で人付き合いがいいが、依頼心が強く、赤ちゃんでいたい心を持っている。
黄色より青を好む子供は一般的に言って赤ちゃんでいたい心が強く、親の注意を引きたがる。
反対に青のほうを好む子供は自制心を持っている。
緑は青と同じく自制心の現れである。
赤が衝動、情動をあらわし、その補色である緑が理性を現すのである。
黒は、不安や恐怖のために起こった抑圧の現れである。
すなわち黒を使う子供は表面では協力的で、大人との関係もうまくいっているように見えるが、実はその底には不安と恐怖が渦巻いているのである。
橙色は、激しい情動を外にあらわすのを恐れている内気な子供、現実から空想に逃避している子供に見られる。
褐色は多数の子供に見られなかったので確定的なことは言えない。
傾向としては、褐色は清潔に対する子供の反抗の現われと思われる。
紫色を使う子供は極めて少なかった。
不幸な子供、もしくは不幸な時に見られた。
次は形について述べる。
丸い形を好んで描く子供は一般に幼い子供で、垂線・直線を好んで描くようになると減少する。
一般的に言うと円を描く子供は女性的で、やさしく、従順で、無口で、内気である。
縦に伸びる線を好んで描く子供は、一般的に言うと男性的で、自信が強く、自己主張的で、考え方も合理的である。
横に伸びる線を好んで描く子供は、おびえており、その子に何らかの圧力がかかっている場合が多い。
投射の第2の例が遊びであり、その遊びを使って子供を治療しようとする試みである。
フロイトの娘アンナ・フロイトによって創始された。
遊戯療法の方法としては、次の二つがある。
1つは色々な玩具を用意しておき、子供にそれを自由に取らせてあそばせる方法、
もう一つが家族を示す人形・積み木・自動車・動物・家のような一定の玩具を使用させて遊ばせる方法である。
絵や遊びだけでなく、感情は物語にも投射される。
御伽噺テストと呼ばれる方法で子供のコンプレックスを知ることができる。
例えば、
鳥のお父さんとお母さんと子供が、木の枝にかかった巣で寝ています。
そのとき嵐がきて枝がゆれ、巣が地面に落ちました。
三羽の鳥はびっくりして目を覚ましました。
お父さんの鳥は急いで一本のモミの木に飛んでいきました。
お母さんの鳥も急いで別のモミの木に飛んでいきました。
では、子供の鳥はどうするでしょうか?
子供の鳥は少しなら飛ぶことができます。
お母さんの羊と子供の羊が牧場にいます。
子羊は一日中お母さん羊にぴったり体をくっつけています。
そして毎晩、お母さん羊は子羊にお乳を飲ませています。
子羊はもう草が食べられるのですが、お乳を飲んでいるのです。
ところがある日、お母さん羊に赤ちゃんが生まれました。
そこでお母さん羊が子羊に言います。
「私は二人にやるほどお乳がありません。お前はもう歩けるし、草も食べられます。」
それでは子羊はどうするでしょうか?
男の子(女の子)が、お母さん(お父さん)と散歩に行きます。
二人は色々楽しいことをしてきました。
その子が家に帰った時、お父さん(お母さん)がいつものような顔つきをしていません。
どうしてでしょうか?
これらのテストは幼児のみに使用でき、年長の子供には用いることができない。
投射を利用してその人の欲求、葛藤、感情、性格を知ろうとする方法。
スイスの精神医学者ロールシャッハが考案したもの。
インクの染みが何に見えるかを言わせる。
アメリカの心理学者ローゼンツバイクが考案したもの。
ある状況を示した絵を見せ、それに答えさせる。
一こま漫画の吹き出しが一つ抜けているような絵である。
アメリカの心理学者マレーが考案したもの。
ある状況を示した絵を見せ、それについて思い出した物語を言わせる。
苦痛な体験や不愉快な体験を忘れてしまい、それをいくら努力しても思い出せないこと、つまり意識に上らないこと。
フロイトが最初に考え付いた防衛機制がこの抑圧である。
人間の精神のうち、意識していないもの。
以前は意識されていたが抑圧されたもの(例えば苦痛な体験)、永久に意識に上らないもの(衝動など)がある。
無意識は機会があれば意識に上ろうとするが、それを防いでいるのが抑圧である。
ただし、抑圧は意識の働きなので、意識の働きが弱まった時には無意識が出てくると予想される。
意識が弱まった時とはつまり、睡眠時、催眠術をかけたとき、麻酔剤で麻酔をかけたとき(麻酔分析)、などである。
強い感情、特に不快な感情を持ち、精神と行動に激しい影響を与える観念の群。
一般に言われる劣等感をさすわけではない。
例をあげると(かなり古い例だが)、ある少年の父はアメリカ人で、母親は日本人だった。
経済的にもなに不自由なく、平和な日々を暮らしていた。
しかしある日、小学校へあがるかあがらないかの頃、友人が『君のお父さんは西洋人だってね』と言った。
まだ明治か大正の頃、あいの子というのは珍しかった。
少年ははじめて聞く『西洋人の子』という言葉に悲しみ、怒った。
それからというもの彼は神経質になり、鼻をハンカチや襟巻きで隠し、横向きに座らないようにした。
この場合、少年は自分が西洋人の子で、鼻が高い、という観念を持ち、そのために神経質になったり鼻を隠したりしている。
コンプレックスの中心となる観念。
上の例では『あいの子だ』という観念である。
中核要素は大抵は無意識の世界に潜んでいて、自動的に動き、個人の意思ではどうにもできない。
中核要素の周りに、観念連合でつながっている群。
観念連合とは、連想のようなものと思えばよいだろう。
上の例の場合は、『鼻が高い』という観念である。
苦痛な体験。
コンプレックスは、これが元になって起こることが多い。
心的外傷となる苦痛な体験は抑圧され、無意識の世界に沈み、これが中核要素となる。
コンプレックスを知るための試験。
1つの単語(刺激語)を与え、この単語について思い出す言葉(反応語)をできるだけ早く言うようにい言う。
するとその刺激語がコンプレックスと観念連合を持っている場合には、反応時間が延びたり、刺激語を繰り返して言ったり、聞き違いをしたり、どもったり、単語でなく文章で答えたり、ため息をついたり、笑ったり、顔を赤らめたりする。
最も重要なのは反応時間の延長である。
反応時間は大体2秒くらい、それ以上はコンプレックスと観念連合があるものと考えられる。
コンプレックスの中核要素は人により様々だが、多数の人に共通する中核要素もある。
カイン・コンプレックス(兄弟姉妹間の敵意)、エディプス・コンプレックス。
劣等コンプレックス(上の例)、ディアナ・コンプレックス。
フロイトの言う陰茎羨望、アードラーの言う男性的抗議。
男に生まれればよかった、男になりたい、男に負けてなるものかという女性のコンプレックス。
ディアナというのは独身を守り、狩猟をしていたローマ神話の女神。
俺が思うに、所謂『ジェンダー障害』とは別のものかと。
『ジェンダー障害』は物質的な方向から既に解明が始まっている。
ホルモン量などとも関係があるようだし、何より患者の意識が全然違う。
『ジェンダー障害』においては、女性は『女性であることが嫌』なのであり、
『ディアナ・コンプレックス』は男性に対する反抗心のようなものから生まれるものなのではないだろうか。
これはあくまで俺の意見。
睡眠時には無意識が現れる。現れる先は無論、夢である。
ただし、無意識はそのままは現れない。
なぜなら無意識は好ましくないものなので、完全に眠っていない意識がそれに干渉し、一部修正を加えるからである。
このような意識の作用を検閲と呼ぶ。
抑圧の一。
無意識の世界に潜んでいる思想。
例えば夢から見ることが出来る願望。
顕在夢とも言う。
人間の見る夢のこと。
顕在夢は潜在思想の歪められた(検閲のかかった)描写であり、無意識の世界にある願望の充足である。
コンプレックスを調べる為に使う連想試験に似たもの。
ただしこちらは刺激語を与えるのでなく、その人の見た夢の要素(出てきたもの、など)について「思い出すことは無いか」、などと自由に連想させる。
ただし、このとき患者は横になり、目を閉じ、一つの夢の要素に心を集中させ、この言葉から次々と浮かんでくる連想に身を委ねる必要がある。
自由連想・連想試験において、その人にとって好ましくないものについて、こういうことを連想してはいけないとか、決まりが悪いとか、みっともないとか、考えて、浮かんでくること(或いは言葉)を捨てたり、浮かばないように、そう思ってしまうことが多い。
このように心の中で反対の声が起こること。
自由連想の際はこの抵抗を呼び起こす言葉が中核要素と観念連合を持っていると考えられる。
連想試験においても、この抵抗が反応時間の延長につながる。
抑圧の一。
潜在思想のゆがみの一。
顕在夢において二つ以上の像(要素)がくっついて一つのまとまったものとして現れること。
圧縮はいくつもの潜在思想(願望)から出来ている。(これを多元決定という)
多数の人間を一人の人間に圧縮する例、多数のものを合体させる例などがある。
潜在思想のゆがみの一。
おきかえとも言う。
1・潜在思想と顕在内容での強調点、あるいは主題のずれ。
2・それ自身を表すものから遠くかけ離れた要素によって置き換えられる。
3・ある対象にくっついていた(注がれていた)感情がはがれ、別の対象へとくっつく。
などである。
誰かを殺したい、と思ったときに夢において全く別のもの(動物など)を殺すのも転移の例である。
転移において、万人に共通なおきかえ。
国旗が国の象徴であったり、鳩が平和の象徴であったりするが、夢の中にも象徴があらわれる。
潜在思想が象徴によって置き換えられて、顕在内容の中にあらわれる。
フロイトによると、これはほとんど全てが性的な象徴とされる。
つまり、長く突き出たもの(棒など)は男性性器の象徴であり、穴など、中に何かを入れることができるものは女性性器の象徴である。
また風景は女性の陰部の象徴であり、律動的な運動は性行為の象徴である、とする。
フロイトは夢の中の象徴を、検閲の免れる手段である、とした。
つまり、無意識の中にある好ましくない傾向を、意識の目をくらまして表す手段であるとした。
ユングによれば、夢の中の象徴は無意識の中にあるものを生き生きと示す手段である。
「夢の中の象徴は例え話のようなもので、隠すものではなく、逆に、教えるものだ」と言った。
フロイトとユング、どちらか一方が正しいとは言えない。
どちらの例もみられるからである。
相手の人間、動物、あるいは物に対して、敵対的、破壊的な行動をなすこと。
必ずしも直接暴力や腕力を振るうことだけでなく、相手に憎しみを持ったり、
敵意を抱いたり、相手に対して自己を主張したり、相手を支配しようとしたり、反抗したりする一切の行動。
荒々しい行動、とげとげしい行動、憎憎しい行動をも指す。
また、自分自身に向けられたときも攻撃と言う。
攻撃の際は怒り・憎しみを伴うのが普通。
原因としては、欲求不満の結果(反応)、或いは攻撃衝動の発露、とする説がある。
弟や妹が生まれた時に兄や姉にあたる子供が赤ん坊に暴力をふるうという例がある。
つまり子供は母親の愛情に対する欲求不満の結果として、攻撃という行動を示した、と考えられる。
破壊本能とも言う。
これの存在を示す例としては、猫の間脳(脳の部位)に電気刺激を与えると、その猫が攻撃性を示す(うなったり、気を逆立たせたり、飛び掛ろうとする)ことが挙げられるが、
これが人間にも当てはまると推測されている。
欲求不満のような心理的原因の結果ではなく、また、誰にでも起こりうる。
攻撃衝動が自分に向けられた場合。
とは言え、これが本当に存在するかどうかは疑問視される。
所謂強情。
変化に反抗したり、反応の仕方を変えない。
考え方(問題解決の方法・知覚)にも強剛性が現れる。
アメリカの心理学者ロキーチの問題。
次の問題を順に解く。
ただし、最初は1問だけを提示し、それができたら次の問題を見せる、というようにする。
1)61立方センチ入りの水がめと、31立方センチ入りの水がめと、4立方センチ入りの水がめがある。
この水がめを使って、22立方センチを正確に測るにはどうすればよいか。
ただし、水がめの半分や、3分の1を測ることは出来ない。
2)3つの水がめが 100, 25, 6立方センチ入りのとき、63立方センチを測るにはどうすればよいか。
3)3つの水がめが 45, 19, 7立方センチ入りのとき、12立方センチを測るにはどうすればよいか。
4)3つの水がめが 53, 23, 7立方センチ入りのとき、16立方センチを測るにはどうすればよいか。
これを次のように解いたら強剛性である、といわれる。
1)は 61-31-2×4 = 22
2)は 100-25-2×6 = 63
3)は 45-19-2×7 = 12
4)は 53-23-2×7 = 16
反して、3、4を次のように解けば強剛性ではないといえる。
3)は 19-7 = 12
4)は 23-7 = 16
フレンケル=ブランスウィックのテスト。
8〜10枚のカードを作り、次のような絵を描く。
1枚目には犬の絵を描き、最後のカードには猫の絵を描く。
その中間は犬の絵がしだいにくずれ、犬とも猫ともわからなくなり、段々猫らしくなっていく絵が1枚1枚描いてある。
これを犬の絵から順に1枚ずつ見せていき、何に見えるか言わせる。
ファシズム的な人間はこのテストを行なうと、中間のあいまいな絵に対しても「犬だ」と言い、「わからない」とは言わない。
これはあいまいさの非寛容と呼ばれる。
つまり、曖昧な場面を容赦せず、どちらか一方に分類する。
ものの見方に二分法を使うのもよく見られる特徴である。
人間の内面的・主観的な面に対する関心が優勢なこと。
手で触れ、目に見えるもの、具体的・客観的な物の世界に関心をよせること。
内受性に反対すること。
人間の内面的・主観的な面に関心を寄せるのは容赦できないという態度。
権威主義的性格の特徴は1)攻撃性、2)強剛性、3)反内受性である。
本来の目標が獲得しにくい時、その代わりの満足を与えてくれそうなほかの行動に向かう行動。
満たされない欲求の代わりに、よく似た欲求を満たす。
不安を感じさせる場面から逃げること。
空想に浸る、なども逃避の一種。
ある衝動(主に性衝動と攻撃衝動)が行動に現れるのを防ぐ為に、正反対の態度を無意識的にとること。
前の行動のために不安になったとき、前の行動と反対の行動をとること。
問題の存在そのものを認めない(もちろん無意識下)。
反動形成とペアになることが多い。
失敗することで問題を解決しようとすること。
無意識的なレベルにある失敗したいという願望によって不成功に終わる。
理由付け、負け惜しみのようなもの。
得られなかった目標に対して、それはよくないものだったと思い込もうとする。
ハイテンションになる。
「躁」は「さわぐ」と言う意味。
相手の一部を取り入れて、自分はその人と同じだ、と思うこと。
相手としては素晴らしい人、尊敬する人などが当たる。
またその相手と同じように振舞ったりする。
同一視ともいう。
自己の長所を強調することで弱点や欠陥を覆い隠そうとする。
必ずしも能力の誇示だけでなく、知り合いの有名人や、高価なものを引き合いに出すこともある。
不快な経験の客観的事実だけを記憶に残し、不快な感情成分を分離して抑圧すること。
行動から感情的な要素を切り捨てて、観念でもって行動すること。
例としては、親に対する個人的憎しみを、世代の思想のずれと考えて冷ややかに処理する場合。
遊離は客観的な思考を伴うことから、知性化とも呼ばれる。
危険を我が身に加えるかもしれないものを見たり、聞いたりした結果生ずる感情(情緒、情動)。
一番初めにこれを詳しく調べたのはダーウィンである。
恐怖の身体的な表れ。
全脊椎動物を通じて同じように現れる。次の通り。
心臓が激しく動悸を打つ。
呼吸が速くなる。
皮膚が蒼白になる。
黒目部分が大きくなる。
震えがくる。
口が渇く。
アメリカの生理学者キャノンの実験によって、その原因が確かめられた。
副腎髄質から分泌されるホルモン。
恐怖の際にはアドレナリンが血中に存在している。
脊椎動物には自律神経系という意思の力に左右されずに呼吸器・循環器・消化管・泌尿生殖器を支配している神経系がある。
自律神経系は交感神経系と副交感神経系の二つに分かれ、普段はバランスが取れている。
どちらかの神経系の力が強くなると、次のような身体的変化が起こる。
| 副交感神経 | 交感神経 | |
| 心臓 | 拍動が弱くなる 脈が遅くなる | 拍動が強くなる 脈が速くなる |
| 血管 | 拡張・充血 | 収縮・貧血 |
| 血圧 | 下降 | 上昇 |
| 気管支 | 収縮 | 拡張 |
| 瞳(黒目) | 小さくなる | 大きくなる |
| 腺の分泌 | 高まる | 低くなる |
| 消化管の運動 | 高まる | 低くなる |
| 血糖 | 減る | 増す |
| 物質代謝 | 減退する | 亢進する |
アドレナリンは交感神経系に働き、交感神経系の力を強くする。
よって恐怖の際には上の表の右側のような身体的変化が起こる。
恐怖はアドレナリンの分泌と、それによるエネルギーの動員である。
このエネルギーは逃走、もしくは攻撃のためのエネルギーで、本能的に危険の回避・排除を目指すものである。
自己に危害を加えるかもしれないものに直面した時、実際に逃げたり攻撃したり出来ない時に感じる感情。
恐怖との違いは、
実際に逃げたり攻撃したりできないこと。
集中性と瀰漫性の違い。
現在の危険のみに限らないこと。
恐怖と違って一定期間持続すること。
である。
恐怖心は危害を加えるものに集中し、情動自体はっきりした性質を持っている。
それに対し、不安の場合の「こわさ」の対象、また「こわさ」自身は漠然とした抽象的なものである。
この漠然とした、ということを瀰漫性という。
恐怖は集中性であるのに対し、不安は瀰漫性である。
日常感じる不安。
第3者が見ても納得の行く不安である。
所謂病的な不安。
現実不安とは違って他者が見ても納得できない。
また、恐怖に似たような身体的変化を起こす。
心理的には漠然としたつかみどころのない(瀰漫性)こわさを感じ、いてもたってもいられなくなるが、何がこわいのかは当人にもわからない。
フロイトは不安に陥っている人が恐れているのはリビドーである、とした。
以下フロイトの論である。
リビドーの生産量が増したり、はけ口がなくてリビドーの高さ(緊張)が増してくると、人は不安になる。
つまり、欲求不満による不安である。
不安は、
婚約期にある男性(?理解不能)、更年期の女性、思春期にある人
の場合におこる。
つまり、見た目には欲求が満たされそうなので興奮が起こるが、実際は満たされないので興奮ははけ口を与えられずに宙ぶらりんな状態となり、不安が起こる。
心の中の二つの傾向(あるいは欲求、願望)によって引き裂かれている状態。
葛藤は不安を起こすことがある(不安の原因は葛藤とも言える)が、全ての葛藤が不安を引き起こすわけではない。
両方好ましいものの間での葛藤
両方嫌なものの間での葛藤
好ましいものを選ぶと嫌なことまでついてきてしまうことによる葛藤
一切の常識、恥、見栄、道徳、法律を無視した乱痴気騒ぎ。
性衝動や攻撃衝動が瞬間的に爆発して、反社会的な行動になること。
例としては幕末に起こった「ええじゃないか」騒ぎ、中世でのキリスト教の謝肉祭など。
オージーはギリシャ時代の酒の神バッカスの祭りからはじまる。
それが徐々に宗教上の祭りという意味を失い、単なる馬鹿騒ぎに変わった。
オージーの反対の行動。
性衝動や攻撃衝動のような人間の中の反社会的な力が、社会的に認められたものや価値あるものに姿を変えて現れること。
よく挙げられる例としては、宗教などがある。
他にも芸術活動や、スポーツもそうだとされる。
本能的で欲動的な心の部分。ひたすら快を求め、秩序も何もない。
原始的で、明確な構成をもっておらず、情動的であり、「非論理的なものの世界」。
フロイト曰く、
「エスは、遺伝されたもの、出生の時に既にそこにあったもの、素質の中に備わっていたもの全てを含む。」
「その大部分は否定的性格のものであり、自我の対立物であるとしか言いようがない。
……それは混沌であり、沸き立つ興奮に満ちた釜である。
……エスは様々な本能から来るエネルギーで充満しているが、いかなる組織ももたず、全体的意志を生み出すことも出来ず、ただ、快感原則を遵守しつつ本能的欲求を満足させようとするだけである。」
つまりはエスは本能的緊張により引き起こされた「不快感」を回避しようと努め、それは快感を伴う本能的欲求の満足により達成される。
所謂理性、常識、外界からの刺激や内部からの本能的促しに対する瞬間的な反応を遅らせる力。
フロイトによれば、自我は知覚器官と密接につながっている。
自我は「エスと外界との仲介者として振舞う」からである。
本能の欲求を調整し、それを満足させるべきかどうか判断し、外界に好都合な時機や状況が訪れるまでその満足を引き伸ばしたり、あるいはその興奮を一切抑圧してしまう。
秩序や規範を重んじるところ。
道徳意識や罪や恥の意識が生まれるところであるが、それは幼少時に依存していた両親の影響が現れる。
つまり、超自我は両親によって禁止されたこと、批判されたものから生まれたものであり、自我が字が理想に合っているかどうかを審判するところなのである。
生命ある有機体に内在する衝迫。
その生物が外的な妨害の力によって放棄せざるをえなかったかつての状態を復元しようとする衝迫。
(フロイト談)